八重山みんさーの歴史

「八重山ミンサー」は素材が木綿、組織が平織り、生産地が石垣市と竹富町とする織物です。最大の特徴は、五つと四つの絣に「いつ(五つ)の世(四つ)までも、末永く・・・。」という想いが込められていることです。

元々は、藍一色の「ミンサーフ(ウ)」という帯であり、これを愛する男性に贈ったものでした。近年まで竹富島にこの帯としてあったものが今日の「八重山ミンサー」の原型であります。

17~18世紀頃の琉球王朝時代に綿の栽培や交易記録があり、木綿発症の地といわれるインダスから伝来したと推定され詳細は解っていません。

鹿児島の南端から島々は台湾、フィリピン、インドネシア諸島へと向かって連なっています。琉球王国の歴史は14世紀~16世紀の中ごろまで大交易時代と呼ばれ、多くの国々とかかわりをもって成り立っていました。島々にはそれぞれ特色を持った織物の存在が確認されています。沖縄の染織は、日本、中国、朝鮮、南方諸国から、様々な技法、素材、色彩やデザインなどを導入したり、その影響を受けながら沖縄の風土と人々の感性に合った特有の世界を確立しました。数ある工芸品の中でも染織の分野には、その影響を確実に見つけることができます。

主な製品は、帯製品と加工品に大別でき、公賓はファッション類、インテリア類等多種生産され、現代の生活に根ざした幅広い製品づくりが行われおります。

八重山みんさーの特徴

みんさー織の最大の特徴である五つと四つの絣模様に「いつの世までも末永く幸せ」にという意味合いが込められています。

みんさーは綿糸を藍で染めて織った細帯で、五つ()の絣柄と四つ()の絣柄を特徴としています。

八重山ミンサーの語源


語源については「綿狭」という説と、「綿紗」という説があり、いまだ不明です。
八重山の歴史家であった今は亡き宮良泰平さんの著書”八重山方言の素性” (S50.10.1発行)にミンサーの解説がされています。

『ミンサー、真田帯のような幅のせまい木綿布、多くは帯(ミンサーウビィ)にする。

めんさおり=綿狭織の下略ではないだろうか。

さおり=狭織【さは狭(さ)、しという形容詞の語根】幅狭く織られる倭文布(しづはた)にて、即ち、帯に用いる料のものなるべしと云ふ。

万葉集「古の狭織(さおり)の帯を結び垂れ、誰しの人も君には益さじ」云々』

とあります。

近年、当工芸館では新たな語源の可能性があることを表現しています。

それは「綿紗」で更紗の紗であり、中国の辞典によると下記のとおりです。

中国新華字典

紗sha ①綿花や麻等を用いて紡いで作った細糸。

    これを捻って線、或いは織って布と成すことが出来る。

    ②たて糸、よこ糸ともに粗く、小さな隙間のある織物。 

    沙布の如きもの 鉄沙(細かい目の金網)とある。

即ち、綿花糸で織ったものは「棉紗」、麻で織れば「麻紗」となります。

※但し、現在「棉紗」というと、綿のハンカチ他等を示しているようです。

呼称の統一

平成元年4月11日付けで伝産法に基づき経済産業大臣から伝統的工芸品の指定を受け、従来、石垣市や竹富町で織られていたみんさー織は、経済産業省告示第184により 「八重山ミンサー」と呼称の統一がなされました。 (※当社では昭和46年有限会社あざみ屋創業当時より用いている「八重山みんさー織」として踏襲しております。)

経済産業省告示第184号(平成元年4月11日)

1伝統的工芸品の名称 八重山ミンサー 2伝統的な技術または技法

(1)次の技術または技法により製造されたかすり織物とすること。

①先染めのたてうね織りとすること。

②よこ糸の打ち込みには「手投げ杼」又は「板杼」を用いること。

(2)かすり糸の染色法は、「手くくり」によること。

3.伝統的に使用されてきた原材料、使用する糸は、綿糸とすること。

4.製造される地域 沖縄県石垣市、八重山郡竹富町

 
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